
執務室。そこにいるのは俺と。二人だけ。静かで、目立った音もせず、本当に静かで、俺たちもなぜだか一言も喋らない。どうしたんだろうか。俺はともかくは他愛のない、日常的な話を嬉しそうにいつもしているのに(そこが可愛い)そうは思うものの俺はそれを口に出さず、ただ目の前にいるを見ている。あれ、可笑しいな。俺、何やってるんだろうか。俺は自分の腕がの方に伸びていることに気づいた。 「(え、嘘だろ)」 伸びた腕はの手をとらえ、そして引っ張った。嘘だろ、嘘だろ、どうしたんだよ俺。そうは思うものの、自分の意思が効かないかのように静止を求めても止まらない。俺はそのまま腕を引っ張って、体が密着したと思ったら、更に"嘘だろ"と思うようなことをしでかそうとした。よりによって、狙うのは唇かよ!おい、おいおいおいおいおいおい!明らかに俺はの唇を狙っているみたいだ、10cm、8cm、5cm、3cm、1cm…おいマジかよ、いや、嫌なわけじゃないけど、むしろいいんだけど、って、マジ、触れ…る? ----- チュンチュン、というスズメの鳴き声が聞こえてきた。視界には見慣れた天井が映っているではないか。俺はゆっくりと周囲を見渡した。俺は布団に横になっている状態、場所は自分の部屋、つまり…俺は、夢を見ていたってわけか。…冷静になって考えるとあんなのは夢以外の何者でもないだろう。俺ってもしかしなくても欲求不満なのか、ずっとこれを狙ってたのか(いや、俺だって男だからそういう願望がないわけがない)けれども、改めて思い出すと衝撃を受ける。夢…夢かよ、おい…。どちらにしろショックなのは否めない。 「ちっ。」 舌打ちをしながらも俺はノソノソと動き、仕事に向かうための準備をする。ちくしょう、この遣る瀬無さに加えて今日も松本に苛立たなきゃなんねーのかと思うと気が重い…って、今日は松本は非番だったか。思うがままノビノビとしているだろう(あ、それはいつものことか)顔を洗い、朝食を摂り、歯をみがき、俺は出勤した。今日提出期限の書類は昨日全て提出したはずだから、別段急ぎの仕事はなし。とりあえず期限の近い書類を今日中に済ませておこう。そう思いながら俺は執務室の扉を開けた。 「あ、おはよう、冬獅郎。」 ふわり。絶対にこの効果音が一番似合うと思う。俺よりも先に執務室に来ていた人物が俺に笑いかけた。予想していなかったことに俺は内心、盛大に驚いた。だ。間違いなく、だ(俺はちょっと動揺しているんだと思う)夢の中で見て、現実でも見て(それは同じ隊なのだから当たり前だが)よりによって、今日、朝一番に出会わなくてもいいじゃないか。俺はバクバク音をたてる心臓を押さえた。しかも、不意打ちの笑顔…ちくしょう…可愛いじゃねぇか。心が侵蝕されてしまいそうなのを俺は必死で紛らわせた。 「おぅ、早いな。」 「今日は早く目が覚めて、何となく。」 より早く目が覚めたんだよ、とは嬉しそうに言った。何がそんなに嬉しいのか俺にはちょっと分かんねぇが、そう喋るが可愛いので別段気にならない(ある意味気になるが)だいたい、の奴は寝てんのか、いつも。俺からしたらあいつは普通微かながらも存在する隙というものがねぇ、それこそに関してのことになると人間(死神)じゃねぇ。俺がひっそりとのことを考えているだけでも、今背後から殺気ギラギラさせて現れるんじゃねぇかって思うほど、油断ならない。しかもだいたい俺に対してだけだから余計タチが悪い。 「冬獅郎?」 「…うわっ!」 どうやら考え込んでしまっていたらしい(無意識)俺を、がのぞき見た。顔近って、滅茶苦茶接近じゃねぇか…心臓もたねぇよ!しかも俺の視線は自然にの口元へと向かってしまう。って、仕方ねぇだろ、俺だって男なんだから!…あれ。 「、口…何かしてんのか?」 何だかいつもよりも色がついていて、微かに光っているような気がする(いつもよりも目のやりどころが…)俺は慌てて口元から視線を逸らした。このままでは夢を自力で正夢にしかねない。は俺の質問に、頷いた。どうやら、松本が現世任務のお土産にと買ってきた"ぐろす"というものらしい。現世の化粧のひとつらしいが、俺がそんなことに詳しいはずもなく、なんとなくしか分からない。言うならば、紅と同じようなもんだろ。 「これいい匂いするんだぁ、甘い匂い。」 そう言っては嬉しそうに自分の口元を自分の指で触れた。うぉ、やべぇ…。俺は思わず拳を強く握った。何かが中で弾けてしまいそうになった。ちくしょう、可愛いんだよテメェ。しかも化粧(グロスだけだが)なんぞしやがって、口元に目がいって、戻らねぇじゃねーか! 「匂ってみる?」 ドギュン。無防備に自分の口元を指差す(これで素だからタチが悪い)に俺は弾けると同時に何かがプツリと切れた。ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ…。理性を振りほどいて伸びるのは俺の腕。過ぎるのは今日の夢。ちょっと待て、マジで待て。このままいくと俺ってヤバイんじゃないか?そうはいうものの伸びる手は重力に従いそうにもない。ドキドキドキドキ。煩いほどに高鳴る鼓動。いや、待てって、俺。 「冬獅郎?」 「……。」 あー、もー駄目だ。本能が勝った。 「冬獅郎?」 腕をとらえて目指すは唇。さっきまで煩かった鼓動がいきなり気にならなくなった(だけどまだ鳴ってる)距離が近くなる。10cm、8cm、5cm…口付けまで…あと、少し…。 「黒き翼を広げよ…黒翼…「始解すんじゃねー!」 いつの間にか乱入してきたのおかげで、俺はどうやらの唇を無理矢理奪わずに済んだようだ。三割の安堵とニ割の虚しさ、そして五割の恐怖。意味が分からずキョトンとしているはとりあえず置いておいて、目の前で斬魄刀を鞘から抜いてすっげー微笑みを浮かべている輩をどうしたらいいのか考えよう。どうしたら自分が生き残れるのか、まずは考えよう、そうしよう。 |