
「いらっしゃい、ちゃん。」 天気は雨。とうとう例の日がやってきた。俺は心中あまりよくはなかったが、結局どうすることもできず、笑顔で迎え入れる母親を呆れたような表情で見ていた。どうしてこいつは俺のこと何にも考えないんだろうか(雪獅郎は別だ、あいつは俺と違って女大好きだからな、案の定にこにこしてるし)玄関に入ってきたのは、色素の薄い肩くらいまでの髪の小柄な女だった。幸い、見た目大人しそうな女だったことに、本当に少しだけだけど安心した。これで学校にいるような女だったら今からでも猛反対してやろうと思ってた。 「ほら、冬獅郎、雪獅郎。憶えてない?幼馴染のちゃんよ、小学校一年まで一緒に遊んでたでしょう。」 ?俺は首を傾げた。こんな大人しそうな幼馴染なんかいた記憶はない。隣に立っている雪獅郎も首を傾げていた。ほら、こいつが憶えてないんだ、何かの間違いじゃないか?俺は訝<いぶか>しげな顔で母親を見た。名前は憶えてないけど、幼馴染の女はもっとこー、無駄に元気だったし、いつも笑ってるような奴だった気が…。 「もしかして、ちゃん!?」 突然、あー、と大きな声を雪獅郎があげた。隣にいる俺はその声のでかさに思わず耳を塞いだ。何だよ、知り合いなのかよ…って、…?って、あれ。 「全然感じが違うけど、ちゃんってちゃんだろ?ほら、いつも、こーふたつに髪ゆってた!」 「…。」 「うわー、懐かしい、でもすっごい可愛くなったな!」 「…。」 相変わらず人見知りの"ひ"の字も知らない雪獅郎は人懐っこく話しかけた。だが、は一言も喋ろうとしない。だいたい、人の家にこれから世話になろうってのに、何も挨拶がないっていうのはどうだ。幼馴染の""だろうが幼馴染じゃない""だろうが、俺には今どうでもよかった。キャーキャー言う女は好きじゃない。だが、こういう愛想のなさすぎる女もどうかと思う(自分を棚にあげての発言だが)俺はの腕を引いた。何か喋れよ、と目で伝える。 「私、憶えてない。」 短く、小さくそう言った。俺らを憶えてないと言ったのだろう。鈴の鳴るような、世間一般からしたら可愛い声、と言われるような声だった。が、その言葉はあまりにも冷たいものだった(俺もよく憶えてなかったけど)俺はまたもムッとしてしまい、腕をもっていた手に、無意識だったが力が入ってしまった。は少し顔をしかめた、まずかったな、とは思ったけど俺も退く気にはならなかった。 「お前、何でうちに来ることになったんだよ。」 冬獅郎!と母親が鋭い声で呼んだ。だが、もう遅かった。俺はハッキリとそう言ってしまったのだから。は静かに俺の方を見て、小さな唇を動かした。 「おばあちゃんが死んだから。」 しまった、と俺は思った。こいつは哀しそうな顔はしていなかった、泣いてもいなかった、ただ、本当に淡々と、静かな声だが、ハッキリとそう言った。だが、俺は心臓を強く揺さぶられたようなショックを受けた。目の前にいるは確かに哀しさなんて見せてなんかいないのに、どうしてだか…。母親はその場で俺を責めたりしなかった。俺の前を通り、を連れて家の中を案内しに行った。雪獅郎が俺の肩をポンと叩く。その行為が嫌味じゃないことを俺だって分かってる。 「別に。」 物凄い後悔と罪悪感。だが、俺はそう言って強がることで必死に自分を保つことしかできなかった。何かが一瞬脳裏を過ぎていった。だが、それが何だったのか、よく分からなかった。ただ、俺を真っ直ぐに見たあの瞳<め>が忘れられなかった。 ----- 「ちゃん、ご飯食べないのか?」 雪獅郎が肉じゃがのじゃがいもをつまみながら言った。母親は溜息をつきながら頷いた。ただでさえ小さくてほせぇのに、何を考えてるんだあいつ。そうは思いながらも俺は何も口出しせずにただ黙々と夕飯を食べている。未だにモヤモヤしたものは消えることもない。何か、イライラする。それに乗じたように空も雨模様で雷まで鳴っていたりする。父親は今日は夜勤なので今仕事に出ていていない。母親は静かに箸を置くと、俺らに視線を向けた。 「言っておけばよかったわね。」 「ちゃんのこと?ばあちゃんが亡くなったって?」 "おばあちゃんが死んだから"その言葉が再び聞こえてきた気がして何処かがツキリと痛んだ気がした。それでも俺は気にしていない振りをして肉じゃがに箸をすすめる。だが、俺が話を聞いていることは分かっているのだろう、母親は別段それに関しては注意してこなかった。 「小学校二年生で海外に行っちゃったでしょ。」 「そうだったな、確か、アメリカだったっけ。」 「そうそう、それからね二年後に親御さんが離婚しちゃって、ちゃんおばあさんと一緒に暮らしてたのよ。今の名前はね、ちゃん。」 「…親のどっちかとじゃなくて?」 俺はそこで初めて口を開いた。だって、可笑しいだろ。離婚したとしても母親か父親かと一緒に暮らすだろ普通。俺の言葉に、母親は困ったような表情を浮かべて頷いた。どうやら何やらの事情があって…じゃない、はばあさんと暮らしていたらしい。そのばあさんが二週間前に亡くなったから行くところがなくなったってわけか?ってちょっと待て、それじゃその二週間弱は一体何処にいたっていうんだよ。俺は肉じゃがを食べるのをやめて、箸を置いた。不思議なことに、他人のことだっていうのに気になった。それはあの罪悪感の所為かもしれないけど。 「遠い親戚が引き取ったんだけど…ドォン 母親の言葉を遮るように大きな雷が鳴った。雨は相変わらず降り続けていたようだ。それにしても音、大きかったな…。え…雷?雷…雷…そういえば…そこで俺は何かを思い出した。 「こわい。」 無意識のうちに勢いよく立ち上がった。突然立ち上がった俺を驚いたように雪獅郎が見ている。どうしたの、という母親の言葉に答える間もなく、俺は部屋から出た。急いで階段を上り、ある部屋まで駆ける。なぜだか知らないけれど、思い出した。でも、それで俺が何でこんなに必死になっているのだろうか。そうも思ったけれど、俺は迷いながらも目の前の扉をゆっくりと開いた。「…だれ?」 そこには、薄っすらと涙を浮かべて、小さな体をさらに縮めたように必死に座り込んでいるの姿があった。 |