
「!」 彼女の名前を誰かが呼んだ。 その声にはゆっくりと振り向いた。 目を見開いた。 そして次の瞬間、雫が落ちる。 「一護…ちゃん!」 目の前にいるのは紛れもなく彼。 身にまとっている死覇装が風に揺れる。 手には大きな斬魄刀を持っている。 立っている。 生きている。 彼女は無我夢中で駆け寄った。 彼女より随分と身長の高い彼は彼女の頭に優しく触れ、グシャグシャと髪の毛を乱した。 「迎えに来た…一緒に現世に帰ろうぜ。」 「うん!」 が。 突然空が暗くなる。 黒崎の手を握っていたはずの自分の手。 何か、違う。 彼女は目の前の人物を見た。 「…冬獅郎ちゃん?」 目の前には銀髪の少年がいて。 彼は酷く哀しげな表情で彼女を見ている。 彼の隣りには松本がいて、彼女もまた同じ。 思わずが何かを言おうとしたとき。 またも違和感を感じた。 目の前にいる人物は、またも変わっていた。 「そらあかんなぁ、 ちゃんは尸魂界<こっち>の人間やろ。」 ----- 「、…!」 「…ん。」 重たい瞼<まぶた>をゆっくりと開けると、目の前には未だ見慣れない天井と、松本の顔が映った。 彼女は酷く心配そうにを見ている。 まだボンヤリとする意識のまま、体を起こした。 そうだ、さっきのは夢だったのだ。 彼女はそう思い、小さく笑った。 「大丈夫、うなされてたのよ?」 「ん、大丈夫です。」 は立ち上がると、布団をきちんとたたんだ。 此処は日番谷の家である。 尸魂界に来てから彼女は居候をさせてもらっている。 身内だという山本の家に行くつもりはないようだ。 もしも、行ってしまったら。 彼女がこれからも此処で生きると言うようで。 「冬獅郎ちゃんは…。」 「隊長なら…「おい、飯だ。」 額に青筋を浮かべた日番谷が現れる。 どうやら朝食は彼が作ったようだ。 よりも先に声を上げたのは松本だった。 実は…。 「俺はお前まで居候させるつもりはねぇんだが。」 「嫌だな隊長、女の子1人じゃ危ないじゃないですか。」 「何が危ないってんだよ。」 「隊長ったら、野 暮 で す よ ?」 松本も一緒に居候していたりする。 何というか、彼女はにべったりだ。 も松本の存在に安心しているようだし。 家主も強くは言えなかったらしい。 しかし、自分が松本の朝食まで作るのは不本意らしい。 「若い男女ひとつ屋根の下なんて!」 「は?」 「ねーー男は狼なのよ、気をつけなさい。」 「なっ、誰が狼だ誰が!」 「隊長ですよ、小さくても男は男。」 「だっ、誰が小さいだと!」 「…つい本音が、まぁいいじゃないですか、ご飯っと。」 「お前に食わせる飯はねぇ!」 2人のやり取りは相変わらずで、彼女は夢を忘れた。 いや、最後の部分だけを忘れたというか…。 嫌な事を忘れてしまう事。 嫌な事を覚えてしまう事。 それは人間にとってよくある事だが。 彼女は前者だった。 黒崎の顔が、夢であれ見えた。 "一緒に現世に帰ろうぜ" その言葉が、やけに鮮明だった。 「うん。」 「ん、どうした?」 「いや、独り言です。」 黒崎は生きている。 彼はきっと来てくれる。 ルキアを助けに。 自分を連れ戻しに。 彼女はふわりと微笑んだ。 "迎えに来た…一緒に現世に帰ろうぜ" 「乱菊ちゃん、この書類は?」 「あー、えっと、十三番隊にお願い!」 「分かりました、行ってきます!」 彼女の書類運び屋は板についてきた。 ようにも見えた。 が、地図を見ないとよく分からないようだ。 彼女は広い廊下の真ん中で立ち止まった。 さっきまで見ていた地図が、ない。 何処かに落としてしまったのだろう。 「…困った。」 「どうかしましたか?」 後ろから声が聞こえた。 どうやら、女の声のようだ。 それだけで警戒心がなくなった。 振り向いて見ると、一度見た事ある人物だった。 五番隊副隊長、雛森桃。 「あれ、ちゃん。」 「えっと…雛、雛、雛鳥…「雛森だよ。」 雛森に笑われて、彼女は恥ずかしそうに笑った。 初めての書類運びで向かった先が五番隊。 途中阿散井と出会い一悶着あったものの、日番谷と一緒に五番隊へと無事書類は届けた。 そのとき、受け取ってくれたのが雛森だった。 雛森はどうやら日番谷の幼馴染らしく。 はそれだけで雛森を警戒する事はなかった。 「すみません雛森さん、こんにちは。」 「そんな畏まらなくても…呼び捨てでも何でもいいよ?」 「えっと…じゃあ、雛ちゃん…で?」 「…うん、有難う!」 雛森は嬉しそうに笑った。 何でお礼を言われたのか分からない。 それ以前に何故自分がそう呼んだのかも分からない。 不思議と自然と出てきた言葉…。 そう思いつつもは微笑み返した。 雛森はどうやら今は休憩中らしく、暇していたとの事。 迷っていたと分かると一緒に十三番隊に行くと言った。 「…で、冬獅郎ちゃんが…。」 「ちゃんは"ちゃん"付け許されてるんだ。」 「え。」 「私がね、シロちゃんって言うと怒るんだよ。」 「…呼ぶ前に私がちょっと泣いてたから…。」 きっと怒れなかったんだと思う。 はその日の事を思い出して、顔を赤くした。 雛森はそんなを穏やかに微笑んだ。 松本といい、雛森といい。 どうして彼女達は自分をこんな穏やかな目で見るのか。 には少し不思議だった。 「雛ちゃん?」 「あ、ごめんね!そういえば、丁寧語で喋るんだね。」 「癖かも…面倒見てくれた人が丁寧語だったんです。」 「へぇー。」 「でも、ごちゃ混ぜで…逆に悪いような気が。」 「そんな事ないよ。」 まただ。 雛森の微笑みに何処かホッとする。 その後に胸が締め付けられる。 松本も同じ。 これが何を意味しているのか分からなくて。 歯痒いと感じる。 それでも、雛森の横を歩くのは心地良かった。 「有難う御座いました、雛ちゃん。」 「いえいえ、どういたしまして。」 「それじゃ。」 「うん、今度一緒にご飯食べに行こうね!」 「うん!」 無事に十三番隊に書類を届ける事が出来た。 は嬉々として帰路辿っていた。 ふと、自分が小さなお菓子を持っている事に気がついた。 「(そういえば、十番隊の人に貰ったんだった)」 数個貰った小さな甘そうなお菓子。 無事に十三番隊にたどり着けたのは雛森のお陰。 彼女はもう一度来た道を戻った。 お礼にお菓子を、と思ったからである。 しかし。 「五番隊副隊長さんの事も忘れてはるんやねぇ。」 密かな霊圧を感じた。 それも、あまり好ましいとは思えない。 「市丸…さん。」 振り向くと、そこには市丸が立っていた。 彼は変わらず笑みを浮かべている。 日番谷の言うように、何故か近づきたくはない。 が、彼の紡いだ言葉は気になる。 「僕の事も、あぁ哀しいなぁ。」 「…。」 「なぁに、少しずつ思い出したらえぇやないか。」 「…私は…。」 知りたい。 知りたくない。 わけが分からなくなり。 自分の存在すら疑ってしまう。 「何なら、僕が教えましょか?」 "市丸には近づくな…" 日番谷の言葉が脳裏に浮かんだ。 はペコリと頭を下げると前に歩いた。 すると、素早い足取りで一瞬にして彼の前から消えた。 市丸はそれを見て、更に口の端を上げた。 「瞬歩…流石、と言うべきやろなぁ、ちゃん。」 |